ほっと一息ついたときだった。今までに感じた事のないぐらいの強い神気が玄関の辺り
に降り立った。さっと緊張して身構えた三人の視線の先には一人のスーツ姿の男がいた。
先程和弥と遼子と共にいた男だ。げんなりとしているのは朱雀に先ほどの飲み物について
いろいろ文句を言われたからであろう。
「君達が、藺藤都軌也君と、日向夕香さんだね」
 その言葉に月夜と夕香は同時に後ろに飛びのいて裏口付近で待機した。凛が月夜たちを
かばうように前に出て剣印を結んだ手を一振りした。
「何者」
 油断なく聞くと男はふっと微笑んで月夜を見た。月夜は眉を寄せたがハッと気がついた。
「もしかして、会長か?」
 そう聞くと男はいかにもというように頷いた。何故、月夜が現会長を知っているかとい
うと一度、父と会ったことがあるのだ。父におちょくられて遊ばれていたのがかなり印象
的な人で、基本的な術の大半を彼から教わった。
「な、何故」
 それを聞いてか、凛は月夜と会長を交互に見つめている。男はもう一度月夜に笑いかけ
て凛に目を向けた。
「いや、すこしな。君達に告げねばならない事がある。君達の指名手配は取り消させても
らった。それだけだ」
「会長自らがそれだけを告げに?」
 油断なく夕香がそういうと会長は肩をすくめた。外見は月夜が小さい頃と合ったときと
変らない。だが、今だから分析できる。少し、夕香に近い匂いがする。
 その訳に、仮定といえどもなんとなく気づいてしまった月夜はさっと蒼褪めて夕香と現
術師会会長であるこの男、日比谷薫を交互に見た。
「……。まあな、後は、君達の意見を聞かせてもらいたいのだ。白空についてのね」
 そういうと凛に目を向けて入ってもいいかと尋ねた。凛は硬直したまま座布団を出して
囲炉裏の隣においてどうぞと手招きした。この会長は動く事が全くない。という事は今の
状態は、それほどのことなのだろう。凛の緊張のしように苦笑すると薫は座布団に胡坐を
掻いて月夜を手招いた。
「そう緊張しなくてもよい、少し話を聞かせてくれないか?」
「何をですか」
 月夜が薫の目の前に端座し眼を泳がせた。会長はそんな月夜を見つめて緊張した面持ち
を崩して穏やかな顔をした。
「君が見た、白空はどうだった?」
 やはり、そう来たかと溜め息をついて現会長と謳われる、十数年から全く変っていない
顔をまっすぐ見つめた。白空と対峙して生きて帰ってこれているのは月夜と夕香だけなの
だ。黒に近い茶色の目が月夜の漆黒の瞳を射る。
「…………二重人格のような感じでしたね。気配が禍津霊のような気がしました」
「禍津霊か、また珍しいものを」
「いや、異界ですから、そういうものも溢れているんだと思います。神格が高いといえど
も人と変わりない生活をしていれば野心や邪心が生まれるでしょうし」
 肩をすくめて何でここまで冷静に話せるのだろうかとふと思った。昔は狐に近づく事す
らできなかったにもかかわらず、今は、普通に傍にいられる。今思うべきことではないに
もかかわらず胸の奥に何かが引っかかった。
 先ほど空狐が降臨したらしいが意識がなかった故に感覚もない。だが、何故、空狐が月
夜に降臨したかというのは、仮定というより確信としてもうゆるぎないものになってしま
った。
「……そうか。それを祓う事が出来ると思うか?」
 その言葉に夕香が息をのんだ。それを背で感じながらつとめて冷静に頷いた。
「かなり奥底まで侵食されてますけど、まだ、自意識はあると思います。俺が見た二つの
顔のうち、どちらかが、本当の白空の顔だと思います」
「二つとは?」
「なんというか、この場で言うのははばかれるのですが、男色に走りそうな一面と、とい
かにも支配者的なかんじですね」
「ほう……、日向さんはどう思う」
「へっ?」
 いきなり話を振られて目を見開いて首を傾げると凛に叩かれて我に返った。白空は長く
敵して追っていたためにどんな性格だったかなど覚えていないに等しいのだがそれでもそ
んないかがわしいものではなかったと覚えている。
「兄は、多分、そんなんじゃなかったとおもいますね。どちらかといえば、力があること
を誇りに思っていて、……普通のお兄ちゃん、だったと思います。ちゃんと、良い人だっ
ていたみたいですから……兄と話さなくなったのはもう六年前ぐらいの事ですから、確証
はないですけど」
 お兄ちゃんという言葉が喉の奥に張り付いた。目を伏せた夕香に頷いて薫は溜め息をつ
いた。
「そうか。だが、おかしいな……」
 薫がボソリと呟いた言葉に反応して月夜は眉を寄せた。一般的に禍津霊は憑かれていた
ときの記憶がない。だが、時々自意識を戻して行動するとなると、どういうことなのだろ
うか。六年も憑かれていたのならば禍津霊と同位体となっていてもおかしくない。いくら
夕香と同じぐらいやそれ以上の天狐といえどもそうなっているのがふつうだ。
「……禍津霊か」
 ポツリと呟いて考えモードに入った月夜と薫に夕香と凛はなんか似ているなと目配せし
て頷いた。囲炉裏の炎がちろちろと揺れる。
「白空がおかしくなったのは。八年前。……なにかあったのか?」
「それはあたしにもわかりません。まだ、小さかったですから。それに、この頭ですよ?」
「そうだな。大人の言っている事などさっぱりだろうな」
「なによそれ」
 辛辣というより初対面の人にそんなことを言われれば突っかかるだろう。それを背で感
じながら月夜は苦笑して手のひらをひらひらさせてみせた。
「それより、その事が、何かありそうですね。禍津霊は人の負の思いに反応して憑くこと
が多い。だが、強い思いを抱いているときも憑くんですよね?」
「ああ。一般的な症例としては数件だが……。待てよ」
「そうですよね?」
 月夜はいち早くわかっていたらしい。薫にそれを気づかせて確認すると薫も頷いた。
「どういうこと?」
 全くわかっていない夕香とあともう少しで拳を放ちそうな凛を見て溜め息をつくと月夜
は背を向けたままうつむいた。
「つまり、白空は、野心とかがあったんじゃなくて、禍津霊に憑かれるほどの強い思いを
抱いていた。それが、今回の事の発端じゃないかって思った」
「どういうこと?」
「わかりやすく言えば、白空は禍津霊をその体に住まわせながら、その強い思いを遂げる
ために現世と異界、常世を一つにしようとしているんじゃないかとおもったんだ」
「どういうことよ。ぜんぜん」
「んじゃ、現世と常世を一つにしたら、何が起こるといった?」
 説明に困るなあと思いつつもそういうと夕香より凛のほうが早く答えをだした。
「それは、妖と人が一つの世界に溢れ、均衡が保たれていた世界、異世界への扉が開いた
りするんだろ?」
「その均衡、つまり、普通ではこちら側から開けない扉を開けるためには?」
「そうするしか……、……そういうことかっ」
「そういうこと」
 うなずいて、首を傾げている夕香に月夜は口が疲れたからとトレースを使って自分の思
考をわかりやすく解いてやるとぱっと顔を輝かせた。
「それをしたいだけのためにこんな事を……」
 呟いた凛に一匹忘れてるものがあると告げて溜め息をついた。
「普通ならそんな事しないだろう。そこで禍津霊なんだ。あれが、理性とか危機感とかを
はずしてやらせてんだろうな。おそらく禍津霊の狙いは天狐の神気で道返大神の大岩をひ
らき、黄泉比良坂を開け、黄泉の軍勢を引っ張り出す事だろう。白空は利用されているだ
けだ。まあ、そういっても、減罪はできないだろうが」
 肩をすくめて確認を取るように薫に目を向けると薫も頷いた。間違いないらしい。
「多分、薬居教官もそれに気づいていると思う。で、組織の中にあちら側のなんかが居る
とかいないとか……?」
「それに関しては調べている。挙兵しようといった連中が怪しいから式神をつけている。
だが、もう、異界に集まっているようだ。先頭は、犬神や獣を扱える輩だろうな。君はと
められるよな?」
「それなりにわが一族は高いところに居るので。とりあえず犬神連中は止められます。そ
の後に、まあ、他のやつらを止めるには……」
「それは私がやろう。第一波を防いでくれれば私のほうでどうにかできる」
「必要なときにしか動かない、尻に根っこがついている会長ですからね」
「そんなこといわれていたのか」
「みたいですよ」
 肩をすくめて言う月夜に薫は破願した。月夜もつられて笑って立ち上がった。
「てことで、姉貴は嵐に連絡よろしく。夕香」
「ん?」
「長老のところに報告に行くぞ」
「ああ、はーい」
「では頼んだ。……連絡があるならばこれを使ってくれ」
 差し出されたのは一つの紙だった。お手製の式符で式神なしで交信が出来るものらしい。
ありがたく頂戴して月夜たちは異界に戻り天狐の里に急いだ。



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